
不動産学と地域経営の専門家
横山 Andy 篤司
Yokoyama Andy Atsushi
不動産×〇〇を探求し、
不動産ってわかりにくいをなくす。
企業顧問、執筆・講演、フリーター
不動産オーナー経営学院「REIBS」学長(2014-)
むさしコーポレーショングループ 代表 (2010-)
1981年愛知県名古屋市⽣まれ
名古屋学院中学、同⾼校。成城⼤学経済学科卒
フォーダム⼤学⼤学院国際ビジネス学部修了(修士)
北海道大学農学部(招聘) 客員准教授(2024-2025)
5年間のニューヨーク留学、モルガンスタンレー・キャピタル投資銀行(東京)を経て、元名古屋駅前旅館の三代⽬(創業90年)を承継。不動産経営歴20年以上。現在、国内5社、海外2社の会社を経営、海外ビジネスにも精通。不動産M&A、建物統廃合、不動産の財政再建を専門領域とする。
次のビジョンとして、日本が抱える不動産の社会課題を、産官学連携で解決するためのグローバル都市計画(地域経営)を研究中。
History
“Andy” が生まれるまで。
祖父の代より名古屋駅前で旅館を営み、戦後の⾼度経済成⻑期の中で成功した⼀家の三代⽬直系⻑⼦として⽣まれる。家族経営で旅館、飲⾷店、パチンコ店、喫茶店などを経営し、軍隊上がりで厳格な規律を重んじる厳しい祖⽗という家庭環境だったので、親類縁者との関係も深いものだった。しかし9歳の時に祖父が他界、親類縁者と相続争いに。幼少期より失うことが日常だったなかで、“Andy”というグローバル人材は生まれた。

⼀⼈っ⼦で⻑男ということもあり、幼少期より⼤切に育てられ、真⾯⽬で素直、学級委員長も率先する明るい性格だったが、独創的な⾯も強く、物事をとことん追求する探究心の強い性格だった。お気に入りの玩具は『LEGO』、好きなゲームは『SimCity』。友達を集めては建物や乗物を⾃由に作ってまちづくりを空想するような家っ⼦だった。しかし9歳の時に祖父が他界し、親類縁者と相続争いに。そんな辛い幼少期に⽗親は、多様な環境の中で⽣き抜いていけるように海外へと連れて⾏ってくれていた。
中学2年生のとき、ロサンゼルスでのホームステイを経験する。滞在先は、父親がかつて留学していた際にお世話になったホストファミリーであり、彼に将来に大きな影響を与える存在となった。
初対面の際、ホストからこう言われたという――
「“Atsushi”という日本語名は、少し親しみにくい。君の名前の頭文字“A”にちなんで、“Andy”と名乗ってごらん」。
この瞬間から、“Andy”という名は、日本での辛い生活を乗り越え、異文化の中で自分らしく存在するための象徴となり、後のアイデンティティにも深く結びついていく。

このホームステイで出会ったホストファミリーは、まさにアメリカンドリームを体現するような大富豪だった。広大な邸宅には、日本の浮世絵「東海道五十三次」や甲冑が飾られ、庭には錦鯉が泳いでいた。日本文化への深い敬意と情熱を目の当たりにし、自らのルーツへの誇りが、胸の内に静かに芽生えた。
また、ホストファミリーは、地域の人々と隔たりなく接し、朝のジョギング中には誰にでも笑顔で声をかけていた。その姿から、地域とのつながりの本質や、人との信頼関係の築き方を自然に学んでいく。
異国の地での体験は、単なる留学ではなく、「人」「文化」「経営」という生涯のテーマを形づくる原点となった。そして、“Andy”という名前には、国境を越えて対話し、価値を伝えるという使命が、静かに込められている。
フォーダム大学への留学、そしてその裏にあった現実
経営の本質を学ぶべく、ニューヨークに語学留学をした。きっかけは、家族の中で最も尊敬していた叔母のひと言だった。叔母はバブル期に建築家として一世を風靡した人物だったが、その後600億円を超える負債を背負う経験をし、身をもって「才能や人柄だけでは経営は続かない。経済と金融の知識がこれからの時代には不可欠だ」と語った。

24歳の時にニューヨークで起業。当時、海外での学生起業は珍しく、またアパートホテルのビジネスは急成長し、不動産にも深く関わるようになる。
アメリカでの生活の中で、特に「日本の価値」をいかに伝えるかに心を砕いた。「寿司」や「かき氷」を愛する現地の日本文化ファンから「日本のことを教えて」とたびたび声をかけられ、その度に深く調べ丁寧に解説を重ねた。分析や理詰めの会話を通じて、自然と英語力が向上すると同時に、物事をとことん突き詰める論理的思考も養われていった。そして、日本人が少ないニューヨーク・フォーダム大学の大学院への入学を決め、ファイナンス、国際開発を学ぶことを選択した。
しかし、その華やかな学びの裏側には、誰にも語ることのなかった葛藤と現実があった。

実はその当時、家業は倒産の危機にあった。9歳のときに祖父が他界すると、相続を巡る親族間の争いが始まり、裁判が何度も繰り返されていた。精神的支柱だった祖母も、相続問題による心労でこの世を去り、祖父母の家が売られ、高価な家財道具もすべて無くなり、結果として、資産の4分の3が失なわれていたことが分かった。
幼少期から青年期にかけて、「失うこと」は日常だった。その代わりに「自分が強くなって、これ以上誰も見捨てない」「たとえ一人になってもやり抜く」という、覚悟と孤独な強さが育まれていった。その強さは、海外生活、大学院、そして仕事を乗り越えるに至る糧となっている。
モルガンスタンレーでの企業再生スキルを、家業復興に⽣かす

トランプ大統領の母校でもあるフォーダム大学で国際ビジネス学科修士号を取得後、27歳で外資系投資銀行モルガン・スタンレーに入社。企業再生や不動産ファイナンスの最前線で数多くの案件に携わり、複雑な事業スキームや資金調達の実務を経験した。
社会のダイナミズムを肌で感じる一方、心の中には常に「家業をなんとかしたい」という思いがあった。というのも、祖父の代から続いた家業も古い自社ビル一棟のみ。そんなある日、父から「会社を売却する」と相談された。「祖父が築き、父が守った家業の灯を自分が継ぐべきか」という思いは日に日に強く感じるようになった。
2010年、30歳のときに家業再生に踏み出す。
共同代表に就任し、事業計画を策定。これまでの経験を活かして銀行交渉を重ね、15億円の融資を調達。2015年、家業再興のため取り壊し、17年に新ビルを建設、2020年に完済。
現在は当時資産の10倍以上の会社へと成長し国内5社、海外2社の不動産・⾦融会社を経営している。

孤独な再生の先に見えた答え─不動産経営スクール『REIBS』誕生
家業再生に挑む中で、10年ぶりに戻った名古屋の地で痛感したのは、「一人だけでは乗り越えられない」という現実だった。
『大家』は孤独。
なぜ日本では「空き家が広がるのか?」という問題の当事者となり、お金もない中で、本当に不動産経営は厳しかった。
一方、当時ハゲタカと呼ばれた外資系での経験から、日本の不動産学は未熟すぎることを実感し、このままでは外資系にすべて日本の土地を買収されてしまうだろうと危機感を覚えるようになる。
不動産には法律、税務、金融、建築、金融など、あらゆる分野の知識と判断が求められる複雑な領域。経験・勘・度胸だけでは限界があり、正解のない問いに向き合い続けるには、「学び」と「支え合い」が不可欠であった。
そんな想いから、2013年に、不動産オーナーのための不動産経営スクール「REIBS(リーブス)」を創立。
プロ時代の経験を基に、ファンド仲間やプロの先輩に力を借り、2014年に一般社団法人化。知識や経験をシェアする学びの場『REIBS』は、全国の不動産オーナーが「一人では難しかったこと」に立ち向かい、「共に学び、共に考える」力を得るための、唯一無二の学び場として成長。
現在、通学受講生は1,200名を超え、総資産約3,000億円を誇る実践コミュニティへと成長。“不動産オーナー経営学院で「100年続く街づくり」を考えよう”というビジョンのもと、『REIBS』は進化を続けている。

次なる挑戦は日本の課題──地域創生へ
自らの家業再興のために創設した「REIBS(不動産オーナー経営学院)」であったが、そこで1万人以上の不動産オーナーと出会い、本質的な悩みを聞くことができた。
日本の空き家や土地放棄、商店街の衰退、地域経済の衰退の過程で、やがて不動産の再生や支援を超え、日本全体が抱える“地域創生”という構造的な課題に挑む、新たなフェーズへと進化していくことになった。
その転機となったのが、北海道大学との出会いだった。インドネシアで開催された国際会議にて、国土交通省の海外インフラ支援ミッションの一環としてインドネシアに赴いていた研究チームと意気投合。日本が直面する過疎化、地域衰退、インフラの老朽化といったテーマについて議論を交わす中で、日本の『不動産学』の遅れが、都市計画と企業誘致に大きく影響を与えることが分かり、「今こそ、“不動産学と地域経営のための学び場”が必要だ」との強い共通認識が生まれた。
その思いをかたちにすべく、北海道大学農学部で「地域創生システムデザイン研究室」の立ち上げに尽力。企業版ふるさと納税制度を活用して協力企業を募り、企業と大学の共創による学びの仕組みを構築するに至る。
今後は地域の経済人や経済団体の協力を得ながら、地域経営をつなぐ橋渡し役となり、次世代の地域経営人材の育成と、日本各地の“未来のかたち”を描く挑戦が始まっています。


